“行春の若葉の底に生き残る”     堺利彦を知っていますか? 黒岩比佐子を知っていますか?

そろそろ東京都の高尾山あたりで咲きだすころ。 ヨゴレネコノメソウの花。小野久先生撮影です。
『「坊ちゃん」の時代』の第4巻のアクション・コミック 双葉社の表紙。この版以外にも、双葉文庫、谷口ジローコレクションシリーズ等、いくつか出版されています。

2件のコメント

 昔、職場の同僚に堺利彦が大好きというか、堺利彦の信奉者がいて勤務時間が過ぎると職場の机間を訪ねてまわり、『堺利彦全集を読みましょう!』と訴える人がいました。彼は今でも、脳梗塞で右半身麻痺になった奥さんの車椅子を押しながら毎週金曜日に少人数でも”護憲・反原発”のデモを続けています。売文社のことは彼から聞く機会がなかったので堕落人間の私は全く存じませんでした。私はなんだかんだ70歳まで働きました。仕事を離れて2年後、所謂市民運動(市民集会、署名運動、駅頭行動、国会前集会&デモetc.)に1年間ぞっこん付き合いました。小銭も時間もしっかり遣って疲れました。生活の中で希望が生まれたかといえばとても、とても・・・。
 未来永劫、言論の自由、思想の自由が守られる社会でありますように、ではなく、未来永劫、言論の自由、思想の自由が守られる社会が広がりますようにとの想いは相当に高い壁でしょうね。市井に生きる一人ひとりがたとえ受け身であっても、それなりの感性をもって社会に関わらないと言論の自由、思想の自由が守られる社会を維持することは難しいと思います。
 原子爆弾を2発も投下され大地も人も粉々になってから80年間不戦の歴史を築いた日本ですが相変わらず自国の制空権は無いようなものです。横須賀の海で原子力空母の艦上で世界を混乱させている人と小躍りする姿に象徴される、歴史認識に欠ける総理大臣には大きな不安しかありません。命あるものはみな平等です。言論の自由、思想の自由が守られて、不戦の歴史を築き続けるために感性を維持して日々の小さな変化に対峙しなければならないとつくづく思います。

匿名様 人生の先輩からのコメントにとっても刺激を受けています。

「堺利彦全集を読みましょう!」と同僚に訴える方がおられたということ、おそらくなかなか素敵な職場だったのではないかと妄想してしまいます。

市民運動に1年間しっかりとつきあって「小銭も時間もしっかり遣って疲れました。生活の中で希望がうまれたかといえばとても、とても・・・。」 ——— そうだったのですか。そして、例えば国会前集会&デモで訴えたことが実際の政策に反映されたかといえば、おそらくその多くも徒労に終わったのではないかと、ここも妄想しています。
そうかぁ。希望がうまれないのは、しんどいですわね。

はい、「相当に高い壁」、私もそう考えます。私がこれまでかかわったいくつかの社会では、日本よりもよっぽど言論の自由は制限されていましたし。それらの社会で、そうそう簡単に言論の自由が可能になるとは、思えませんもの。
それでも…、まぁ人類の歴史そのものがまだとっても短いですし。その中の虫けらのような一個人のますます短い人生の中で、そうそう世の中がダイナミックに変わるはずもない。変われば変わったで、当然ぶり返しもあるでしょうし。
それに言論の自由と一言にいっても、その姿はなかなか多様だろうとも想像します。例えば私の嫌いな思想・価値観を表明する自由もそれに含まれるわけですし。
それでも、私の好みとして、他者を虐げることでなければ、まぁなんでも表明できるのがイイなぁと…。堺利彦を始めとする当時虐げられた人たちが語ったことぐらいで、ギャーギャーとなる社会・国家は嫌だなぁと…。
「感性を維持して日々の小さな変化に対峙しなければならない」、本当にそうですね。そして、その対峙の仕方も、それぞれの価値観によって変わってくるでしょうし。やれやれ、こんだけ多くの人がいれば、普遍的理想すら多様で…、このお話には終わりはなさそうなんですよねぇ。

その上で、私は宗教的信仰は持たないのですけれど、他者の犠牲なしでみんなが幸せに近づける社会になっていってほしいなぁと。そんなことを思いながら、まぁそのうち私は死ぬのだろうと(あるいは、確率は高くないですが、殺されるのだろうと)、思ったりしております。

どうぞお元気でお過ごしください。そして、どうぞまた読んでください。気が向いたら、コメントもくださいませ。

村山哲也

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